此処に差す陽の燦々と,優雅の袂と照る愛と,一時遥かに君の目の,中に冴えたる黄金色,握りし義を持て,見上ぐる陽射しよ。
カーネギー美術館で『「光」展―1750-1900産業時代の美術,技術,社会』が開催されている。今日の美術館では,作品を電灯で照らしているが,まだ人工灯がない時代の芸術家は,陽の光で作品を見ていた。19世紀のニューエコノミーである光に関する展示がなされている。
そう,ライティングによって見ているモナリザのほほ笑みは,本当のモナリザではないかもしれない。ダ・ヴィンチの見ていたものとは,まったく違うものかもしれない。彼のアトリエに差す光で見てこそ,モナリザはモナリザとなる。。舞台の上で,いかに本当の行動をしても,その劇場空間と,ライティングで,その行動は虚構にしか見えなくなる。舞台の上で殺人が起きても,私たちはそれを,劇にしか見てとれないだろう。
ワイヤードには,ワイヤードの光が差す。「著作権だ!」「違法行為だ!」と騒いでいる者たちは,モナリザに100円の蛍光灯の灯を照らしているのと一緒だし,舞台の上の懲役千年の悪者に「逮捕する〜」とわめき散らしているのと一緒だ。虚構を現実として生きるものには,現実はあたかも虚構の如き愚かしさに満ちている。その断崖に背を向けて,リアルなワイヤードの陽を浴びる。
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